この世はゼロサムゲーム

世界のルール

筆者が大学生だった頃、サークルの友人と食事する機会があった。その時、前後のことはあまり覚えていないが、ふと友人の一人が「この世界はゼロサムゲームだから。」とつぶやいた。その場に同席していたほかの友人たちは気にも留めていなかったが、私はこの言葉に対して非常に興味をそそられた。

ゼロサムゲーム — 全員の利害の総和が0になるゲーム。サッカーとか野球は違う。麻雀やポーカーが該当。

端的に言えば、誰かの利益は誰かの損害で成り立っているという意味だ。

この世界は弱肉強食を唯一のルールとし、強者は弱者から幸せを奪えるゲーム…
そういうことを言いたいんだと思う。

幸せはどこから来るのか

思えば筆者が享受している幸せというものは、すべて他者から奪う(もしくは他者に不幸を与える)ことで得られているものである。

例えば、良質なものが安く入手できること。モノにあふれた現代では、あちらこちらで安く高品質なものが購入できるが、それは誰かが汗水流しながら働かされて生産されているものかもしれない。その誰かというのは、おおかた貧困に苦しむ発展途上国の人だろう。豊かさの裏には必ず貧困が隠れているものだ。

もっと深い例でいうと、食事の幸せ。おいしいものを食べればそれだけで幸せな気分になれる。しかしどうだろう。食べられる側は幸せなのだろうか。きっととてつもなく不幸なことだろう。

自分の幸せは他者の不幸

こんな話もある。

「辛いって字に一本足すと幸せって字になるでしょ。」

「でもその一本ってどこから持ってくるの?」

「誰かの幸せから奪ってくるんだよ。」

誰かの幸せは誰かの不幸。全員が幸せになることなんてできない。それがゼロサムゲーム。

不都合な真実 その①

よく世間では、世界の平和を願っている人たちがいる。みんなを幸せにしたいと思っている人がいる。しかしそれは、この世界のルールに反する行いだ。

生きるということは、誰かを殺すこと。

自分が幸せになることは、誰かを不幸にすること。

この不都合な真実から目を背けてはいけない。

※ ここにおける「他者」「誰か」は生物全般を指す。人間に限らない。

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